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    0℃のトマト / 野菜総サラダ化への危惧



    冬にトマトですが何か?、な図。
     
     0110 トマト



    さて、冬にトマトである。

    トマトの原産地は標高高き高冷地アンデス。日射量は多くからりと晴れて乾燥し、夜間になると、ぐーーーっと冷え込み、「さ・さ・寒っぶい」という気候の下に生まれた。 世に定着しているトマトのイメージと実際のトマトの生態には大きく開きがあると思う。

    季聞屋、冬のトマトは高冷地アンデスをイメージして栽培に取り組んだ。昼夜の温度差が大きいほどに養分を果実に蓄えようとするトマトの生理をもとに、通常では15℃以上で管理される夜間の温度を0℃程度まで落として管理することで、じっくりと、じんわりと、長期の熟成を得た。

    なんてことを偉そうに店頭では申し上げると思う。ははっ、その実を申しあげると単にまともな加温設備がないだけなのである。ハウス内で栽培しているといっても、薄いビニール一枚を隔てただけである。日のあるうちは温度は上がるが、夜間の温度は外気と1~2℃違う程度、といったところ。

    一昨年の冬のトマトではハウス内の気温が-3℃になった1月下旬頃にパタパタと凍死。それでも-2℃までなら、生き残る株もあった。 ただ、生きていることは生きているというくらいなもので、生産性はスズメの目クソ程度のものである。

    日における昼夜の寒暖差が大きいほどに果実への養分転流が図られる、そういっても、凍死してしまっては元も子もない。

    だから今年はささやかながら暖を取ることにした。
     

    ささやか過ぎる加温 

    石油ストーブ(一般家庭用)で!

    しかも2台です!


    えー。これでどの程度の加温になるか・・・・というと、マイナス気温にはならない程度と言ったところです。生産性で言うとスズメの目クソからスズメの涙程度には増えました。しかも夜中ずっと火を焚いているのではなく就寝前の25時頃に着火し、朝方7時には消火されるという節約ぶり。生きぬよう死なぬよう。 色んな意味で季聞屋らしい仕立てですね。 そんな訳で「0℃のトマト」と銘打って販売が始まりました。



    トマトが売れる背景に思うこと。

    日本在来の野菜というのは極めて少ない。というか「ない」と言っていいくらい。ワラビとかコゴミとかの山菜程度。多くは長い歴史の中でに海外(その多くは中国)からもたらされ、定着したものなのだ。ナスやキュウリ、インゲン、ホウレン草や蕪、白菜・・・etc。

    日本にもたらされ、この国の食文化の中で定着した野菜の内、もっともこの国の風土に不向きな野菜というのを挙げるなら、それはダントツで「トマト」であろう。先述の通り、トマトは冷涼な気候を好む。加えて多くの日射量を必要とし、極端に水を嫌う。日本において、この条件に当てはまる季節は、ない。

    消極的に、それに近い所で言うなら5月と10月下旬頃だろうか。ただ、日本は四季に恵まれた(トマト作り的には恵まれなかった)。5月の気候が永続するわけではない。5月を過ぎれば湿気たっぷりの梅雨が訪れる。10月を過ぎれば日射量と気温の降下に宛てられ、霜が下りれば凍死する。

    夏に向く野菜というイメージが定着したトマトだが、それは「向く」のではなく、ハウス等の加温設備が普及せず、露地での栽培しか選択肢がなかった時代に、「しょーがないから夏に作る」というニュアンスだったものが、いつしか「夏に向く」にすりかわったのだ。

    日本での栽培に不向きなトマトだが、その消費は上昇を続けている。この消費の伸び裏に私は少し不安を抱いている。

    この背景には、「切っただけでお皿に乗せてオカズになるから」という理由を多く含んでいるのではないか。要は料理の手抜きが出来るのだ。

    単体で、それだけで美味しいという事。

    家庭の「料理」離れを思わずにいられない。これはサラダ野菜の需要増とは対に、下処理を必要とする根菜類の需要減にも重なって思われる。ちぎって市販のドレッシングをかけるだけ。下処理やあく抜きなんかメンドクサくってやってられないわ、簡単・便利・スピーディーにこなせて、美味しい野菜。手っ取り早く、なんでも生。
     
    みんな忙しいんだよね。女性は家事を・・・というのは昔のことのこと。いや、そのこと自体が悪いのでは全くないけど、家庭における「食事」の位置づけは降下したのでしょう。おふくろの味なんてものは遥か昔のこと。今のお母さん世代は子供に教えられるレシピなんてあるのかしら。「ネットで簡単レシピでも検索して」、なぁんてね。

    野菜というのは時代を反映する文化的副産物のようなものだ。時世に押されて埋もれてゆく多くの野菜がある。にわか野菜家としては残念でならない。

    売れるものを、売れるものを、と時代が求める所のものを作ることは正義である。

    だが、ちょっと一服♪の某フラペチーノの金額で、使い方次第でひと月は使える大きな白菜を買ってもお釣りがくる、そんな時代に合わせた野菜作りだなんて、なんて薄っぺらいことでしょうね。



    あ、この文章は自分への戒めですから 笑

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