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    冬季直売終了のお知らせ。



    1月31日(木)をもちまして、冬季直売は終了とさせていただきます。



    直売開始後、その間の更新が一度だけ、しかも暗いというか、黒い話題で、次のエントリが終了の案内とはどういう了見だ小僧ヽ(`・ω・#´)ノ そんなご批判は免れませんな・・・。

    いえ、いつの間にか、このブログは日ごろ抱えている苛立ちと不平不満をチョロチョロ垂れ流す、そんな小汚いブログになってしまって・・・。

    直売をしている時は皆様とお会いして楽しくてしょうがないのですが、それ以外の時というと、私、基本的に畑から出ませんし、人と会うこともなく、修行僧のようにぶつぶつと植物にのみ通じる言葉を唱えるような暗ーい暗ーい人でして、それが溜まってハートの器から自分でもよくわからない粘質の黒いものが溢れそうになると、あわやとこのブログが更新されるわけです。それでも一応気にはして薄めて書いているつもりなんだけど、『だいぶ表の印象と違うのね』と言われるのはどうしたことか。

    そんな訳で、更新されない期間というのは私が楽しく過していた裏返し。今期もとっても楽しい販売期間でした。先のエントリも実はけっこう前に書いてオクラに入っていたもの。あんまり更新しないと煩わしい広告が入っちゃったりするので。

    私にとっての直売期間は、いろんなものから解かれ、野に放たれた解放の時間です。今期も思いっきり跳ねて駆けた。つもり。

    でも、もっと自由になれる伸び白はありそう。その昔、人は自らを由とするために多くの血を流したけれど、私はいい気なものね。花と野菜で闘えるのだもの。とっても平和的好戦者。

    美しが丘の外れに張られた園芸文化戦線はひとまず閉幕。

    次の標的を初夏に据え、

    じわり、じわり。
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    返り血を咲かせてみせよと仇花に

    なんだってこんな町で畑なんかしてるんだろう。

    今更なれど思ってしまうときがある。

    冬の夜更け、『高台』と呼んでいる小山の頂上の畑にて、対岸の美しが丘にびっしりと灯った家々の明かりを眺めたときに、それはふと湧いてくる。

    真っ暗な畑の中に一人、泥んこにまみれ、野菜を抱え、ぽつんと立ち尽くす。薄い地下足袋から土の冷たさが足に滲む。

    なんだってなぁ・・・と一人ごちる。




    あまり好きな街ではない。

    住みやすく、暮らしやすい街ではあるのだろう。

    学習塾の多さとベンツの売り上げが日本で何番目かの街。フレンチイタリアンは粒ぞろい。パン屋はギュウギュウひしめき合い。堅牢たる大トーキュー様の資本力をこれでもか!と押しなびった街。よくよくテレビドラマの舞台に上がる、おしゃれで、綺麗で、若い街。住みたい街ランキングではいつも上位に入る。

    何というか、仮想的な街だ。ニュータウンなんてどこもそうだけど。精緻に作られたマネキンのよう。絶えず微笑みを浮かべたこの街には綺麗なまでに匂いと影がない。それが時折薄気味悪く感じるのである。 


    田園の憂鬱になぞらえた村上龍の小説、『テニスボーイの憂鬱』は、この界隈を舞台にしたものだという。初版は昭和60年。旧元石川町からたまプラーザという街へ変容を遂げる、その渦中、土地バブルに湧いた美しが丘の町である。主人公は元・百姓の土地成金の2世。年齢で言うと私の父とほぼ同世代・・・。

    小説を読むときの癖なのだが、気になる個所のページの端を織っておく癖がある。この小説を読んだのは高校2年くらいなのだが、その時の私はこんな所に気を止めていたようだ。


    「テニスボーイの憂鬱」 p.99~p.100

    開発が始まったとき、会社の代表が地主の家を回り、玄関先で現金を積んだ。子供だったが、労せずして大金が入ったことはわかった。家は新しくなり、外車や毛皮や宝石が、つまりはそれまではテレビや雑誌でしか知らなかったものが、勝手に押し寄せてきた。

    それらを得て、失ったものが見えなかった。どうしようもない雑木林が亡くなっても、何か手放したなどという実感があるわけがない。

    (注 赤文字は私による強調


    今、もう一度読み直しても、きっと私はこのページの端を折るだろう。

    そう、どうしようもない雑木林。

    皆そう言って畑を手放した。労せずして積まれた大金にどす黒い笑顔を滲ませて。

    区画整理事業で農業専用区域が設けられはしたが、実際のところ、皆そんな区域は迷惑なだけで、アパートだのマンションを建てるか、売り払ってしまいたかったのである。通常であれば農業専用地区には水がひかれるのだが、保木の専用区域にはひかれていない。これは、団体で申請すれば水がひかれるところ、いつか専用区域の指定が外れ、高値で売れるようになるかもしれないとの考えから、皆、水を引くことを拒んだのである。

    そんな訳で、割と広い農業専用区が設けられていても、実際に農を生業とする者は季聞屋一戸である。他はすべて貸農園と自家菜園程度の扱いである。整備事業には随分なお金が投入されたけど、それが週末の娯楽程度にしか機能はしていないのだ。

    見慣れた光景ではあるけれど、嫌悪感は絶えない。薄汚い畑だと思う。素人の家庭菜園は見ていて哀しくなる。技術のかけらもない。先人が切り開いた畑をあんたの足で汚してくれるな。お楽しみは自宅のベランダででもやってくれ。こっちは職業なんだよぉ!時折ブチっと配線が切れそうになる。

    保木の専用区域を散歩をする人は緑があっていいわ、なんてことを思っているんだろうか。あれ、売られずに放置された植木が無用に大きくなった成れの果てなんだけど。あの植木畑や桃畑にどれだけ除草剤がまかれているか知ってますか。ちゃんちゃらおかしい。 尻で茶が湧くわい。

    父が後代のためにと好きだった仕事を辞め、農家になった時、周りの地主からは随分と小突かれたようである。土地を売った金で建てた高層マンションから見下ろした、一人の農家が泥だらけになってあくせく働く姿はさぞや滑稽に映ったことだろう。

    腹が立つ。

    猛烈に。

    情に薄い私でも、そんなこぼれ話を聞いた時は胸のどこかでカチッとチャンネルが変わる音を聞いた気がした。



    先のエントリで、『こだわり』というものは単なる偏屈に過ぎないと書いたが、私にも一つのこだわりがある。偏屈という意味でのこだわりが。

    それは、この地で売るということだ。

    私はこの地で売るのだ。周りが見捨てた畑で。この地で生み出し、この地になんらかゆかりのある人からお金をいただいて生計を立てるのだ。

    四季に依りて、人に、街に、そして自身の身上問うての季聞屋でありたい。

    2013-01-16 22.30.34[1] 


    「レクソナ」 思わず息を呑むを美しさ。

    ちっきしょー!綺麗に作ってやりたかった!ごめんよー。露地に移して夏には綺麗に咲かせるからさー。

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