スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

    守ってあげたい


    白菜だよー。な図

    オレンジクイン


    ええっと、白菜です。写真を撮ったのがずいぶん前なので、現在はもう少し皆さんがよく見かける白菜の形に近づいております。結球する前の白菜って、ベタッと、こうなんというか、扇風機のプロペラ仕様な葉の展開をするんです。この時期にどれだけ大きく外葉を作るかで、その後の白菜の大きさが決まってきますね。

    ところで、この白菜は『オレンジクイン』という品種で、私にとっては今季が初の試作品種になります。

    私 『白菜のオレンジクインって、知ってる?』

    父 『あぁ、昔に作ったよ。』

    私 『へぇ。どうだった?』

    父 『中が黄色じゃなくてオレンジ色をしている。』

    私 『いや、それは知ってるよ。美味しかった?』

    父 『・・・俺、そーゆーのわかんないからなぁ。でもまぁ、白菜の味がしたと思うよ。』


    ふ、ふ~ん。(- _ - #) 白菜の味ね。

    ・・・だめだ。この人に聞いても。



    そういえば、前回の夏の直売の時にも、品出しの時に、父にジャガイモの陳列を頼んだのだが、複数ある品種の違いをお客様から尋ねられて、

    「困ったなぁ。どれもジャガイモの味はすると思うんですけどねぇ。」と、本当に困った顔をしながら、シンプルにも程がある意見を述べ、お客様の失笑を得ていた。

    私はその時、軽くめまいがしたものです。

    でも、まぁ、悪気はないんです。皆様、大目に見てあげてください。


    私が不服そうな顔をしているのを見て取ったのか、彼は次のように付け加えた。満面の笑みで、もう一つ有力な情報を握っているとでもいう風に。

    父 『あ、でもな、パッと見の外見が普通の白菜と一緒だから、収穫の時に普通の白菜と交っちゃってな、売った後でお客から、買った白菜の中がオレンジ色をしてて、食べて大丈夫なのかわからなかったから食べなかった、っていう苦情が来たよ。あははは。』

    ・・・・オレンジクイン。

    かわいそうに。不憫なやつ。私が守ってやらねば・・・。

    父にこれ以上尋ねるのを諦め、知人のⅠ氏に聞いてみることにした。

    と、こんな回答を得た。



    『 オレンジクインはうちの白菜の筆頭です。柔らかく、甘み強く、みんなオレンジクインばっかり買っていきます。白菜の水気だけで食べる鍋の時の色合いの良さったら!』

    うん。こんなのを待ってたんだ。ありがとうⅠ氏。

    水気を切った豆腐をつぶして、小エビやらホタテさんを加えて、包んで蒸そう。きっと、綺麗においしくできそうな予感。酢醤油に金柑の皮を擂り下ろして食べよう。楽しみ楽しみ。


    アボカド イエローウィン



    写真の百合はアボカドとイエローウィン。至花日数はイエローウィンの方が短いはずなんだけど、アボカドの蕾に極薄らと色が乗り出しました。ひぃーー^^;

    アボカド10月30 

    スポンサーサイト

    夜更けの呪文


    夜も更けて。な図。

     夜も更けて 

    って、これじゃ、何が何だかですよね。

    毎年恒例になってしまった夜更けのネギの「土寄せ」です。過去記事参照のこと→ (kibunya2008.blog104.fc2.com/blog-entry-141.html

    慣れれば、暗くてもさほど支障をきたさない部類の内容ゆえ、日が暮れてからの仕事に後回し。夜中に土寄せをせにゃならんということから、仕事の進捗状況が推し量られますな・・・。

    近日、また雨が降るとのこと。んでもって雨後には、この時期にしては随分と気温が上がって25度を超えるそうな。

    ・・・あ、これ絶対後で強い南風が吹く。

    そんな訳でちょっと前倒しで土寄せをすることに相成りました。というのも、九条ネギは一本ネギと比べると、葉が非常に柔らかいため、風に煽られるとボキボキと折れてしまい、折れてしまった後で土寄せをするというのは非常に面倒なんです。雨で地がぬかるみ、葉が折れてしまう前にとの訳で、夜更けのお仕事スタート。

    俯いて鍬を振り、せっせと土寄せに励む中、横眼に町灯りがチラチラと差し込みます。今季のネギは、山の中腹あたりに位置した畑で栽培しており、真っ暗な谷戸を挟んだ遠くの対岸には、煌めく美しが丘が広がります。

    やぅし、ここは一丁、サン=テグジュペリ、「人間の土地」の序章を思い浮かべながら仕事に励もうではないの。そらもう、高らかに清らかに。

    以下、saint-exuperi 『人間の土地』より抜粋。


    『 あの灯の一つ一つは、見渡す限りの闇の大海原の中にも、なお人間の心という奇跡が存在することを示していた。あの一軒では読書をしたり、思索したり、打ち明け話をしたり、この一軒では、空間の計測を試みたり、アンドロメダの星雲に関する計算に没頭したりしているかもしれなかった。また、かしこの家で、人は愛しているかもしれなかった。

    (中略)

    努めなければならないことは、自分を完成することだ。試みなければならないことは、山野のあいだに光ってるあの灯たちと、心を通じあうことだ。』               




    あの灯たちと心を通じ合うこと! 

    あー。夜中の仕事もいいもんだ。


    チクタク (2時間経過)


    ・・・痛い。腰が、痛い。

    努めなきゃいけないのは、この腰の痛みに対する養生じゃね?自分を完成させる前に、この土寄せだよね? 心を通じ合わせる前に、腰が折れてしまいそうなんだが・・・。

    疲労に際して、気分はサン=テグジュペリから急落して、『日本昔話』のエンディングテーマへと移り変わりました。

    あったかい布団でねーむるんだろな。僕もかえーろ。おうちへ帰ろ。でんでんでんぐり返しで・・・。

    と、我ながらすごい落差ですね。

    ただ、この「でんでんでんぐり返しでバイバイバイ」が、土寄せの動作の掛け声としては、リズム的によく合っておりまして、「でんでんでんぐり返しでバイバイバイ」と、太字にした部分でよっこらと土を持ち上げる動作をすると、非常にリズミカルに作業が進みます。時折、腰を休め背を伸ばし、『あったかい布団で眠るんだろな…』、と合いの手を一人で入れてみたり。。

    そんな風に、ぶつぶつと、でんぐりのお経を唱えつつ、土寄せをしていると、ある時、パッと辺りが明るみました。

    それはもう、まぶしいほどです。

    あぁ、彼方よりのお迎えかしら。明るいって素晴らしい。灯のもとへ、僕も帰ろう、おうちへ帰ろう。でんでんでんぐり。


     
    警察官 『こんな時間に何をされてるんです?ちょっとこっちでお話し聞かせてもらえます?』



    はぁ。職務質問受けちゃったよ…。まぁ、確かに真っ暗な畑の中から、でんぐり返しの呪文が聞こえてくるのはね・・・。


    ちゃんちゃん。



    ピコティ


    花はいい。何がいいって、何も罪のないところがいい。

    生野菜なんざぁ


    「野菜は野菜に生まれない。野菜になるのだ。」                  

     Simone de Beauvoir 

    ・・・の、はずわない。失礼。
    --------------------------------------------------------------------------------

    極限られた一部の野菜を除き、野菜を生でそのまま食べるということをしなくなった。実はもう2年越しになる。

    桃のような歯触りとの評価を受ける品種の蕪、リンゴのような甘さという水ナス、やっっっっっわらかいというキャベツ、切った途端に飛沫があがるというフレッシュな玉ねぎ、その他もろもろ、自分で育てていながら、生野菜や、サラダ的な野菜の食べ方から私生活の上では遠ざかっている。

    いや、売る責任の都合上、もちろん味見はする。でもそれはお酒の試飲のように、口に含んでみて、おおよその確かめをするという程度なもので、食卓に登ることはない。いづれのものも、焼く・煮る・蒸す・漬ける・潰す等の調理をして食べている。

    野菜を直売する農家や、昨今急増しているネット通販をする野菜農家にあって、サラダ野菜の扱いは結構重要度の高い位に置かれているように思う。また、種苗会社もそれらの市場外流通が増えるに伴い、生食向け品種の開発には随分重点を置いていると思う。いまではもう、「主要野菜」に位置つけられた野菜のうちで、生で食べられない品目はないと言ってもいい。

    サラダゴボウや、サラダナス、サラダカボチャ、生食向けのカリフラワーやトウモロコシ、オクラにゴーヤ、・・・etc。それに留まらず、さらには、マイナー品目においてもかなりの生食可能品種が登場している。空芯菜や、元来であれば漬けることが一般的であった俗に言う「漬菜」類、空豆においても生食可能品種が登場し、直売農家の耳目を集めた。

    季聞屋においてもサラダ的な野菜は良く作るし、良く売れる。売れるというのは、売れないことよりも不幸じゃないから、きっと幸せなことなんだろう。でも、どこかでザらりとしたものが残るようになった。

    それは、多分、トマトがよく売れることに抱く微妙なザラツキ感と共通のものだろうと思う。これは過去のエントリでちらっと漏らしたので省こうか。

    また、もう一つのささくれがある。

    生野菜には陳腐極まりない自然崇拝が見え隠れするのだ。「自然の恵みなのだから、極力手を加えずに」だとか、「野菜本来の味を楽しみたいから生で」だとか、聞いているとぞっとしてしまう。野菜は自然とは対極に位置した文化に帰属するものだ。自然のものは私達の口には沿わない。(過去記事参照kibunya2008.blog104.fc2.com/blog-entry-6.html

    のだけれど、勝手に自然のものと思い込んでいる人たちに対して「そうでしょう、そうでしょう、大地の云々~」と、偏見をうまいこと手玉にとって説こうとする農家、青果商、ベジタブルなんちゃらがすんごく多い。そのあたりが猛烈に胸クソ悪い。えへ。

    って、生野菜に全く罪はないし、嫌いではないんだけど、余計な雑念が入り込んで生野菜が食べられないでいる。なにも頭で食べるわけじゃないのにね。

    でもいいじゃないの。生じゃなくたって。大抵の野菜は手をかけてあげた方が美味しいよ。

    蕪を汁ものにした時のさらりととける柔らかさ、ふっくらと香る良い香り。水ナスだって、漬けたときの塩気と糠の香りがあってこそ、あの甘みが生きるのだ。生で食べたら柔らかくて甘っっいという玉ねぎは、ぐったぐたになるまで火を通したら「目が飛び出すほど」(お客談)甘くなる。白玉ねぎ品種であれば、それは生で食べた方がいいかもしれないけれど、季聞屋の玉ねぎは黄玉ねぎである。火を通してこそのものだ。

    お米だって磨ぐ、最高峰という大吟醸だって米を半分以上削るじゃないか。ダイヤだって磨かにゃ光らん。 なんでも生ってのはねぇ。ワタクシ、お腹弱い方ですし。


    野菜は野菜に生まれない。磨いてこその野菜と思う。



    とはいえ、きっと私がこんなことを思うのも、低タンパクな生活を強いられているからだろう。脂の乗った肉や魚をもりもり食べていれば口の中のバランスを保とうと自然と生野菜が食べたくなるものなのかもしれない。つまるところ、私の貧相な食卓から出た悩みなのやもしれぬ。

    あ、このエントリは単なる貧乏ばなし。

    あまり本気にされませぬよう(笑

    hello again

     

    皆様、お久しゅうございます。

    2か月以上放置しておきながら、どのツラ下げて・・・。という声が聞こえてきそうですが


    111008_080106 (1) コスモス「暁」


    こんなツラで、しかも上向きに、楚々と開いて、お目通りいたします。ほほ。



    いやいや、申し訳ないです。前回のエントリを見ると、「もう少し落ち着いてから・・・」なんてことを申していたようですが、その「もう少し」に、随分と時間がかかってしまいました。

    その間のことについて、振り返って述べようとするならば、安酒片手に、ボロを着て、じっとり汗をにじませながら、場末の赤提灯の裸電球に絡み、立つ瀬の涙に溺れ、「バーロー」と誰にともなく嘯く感じのシチュエーションが相応と思うのですが、皆様のお目には耐えられますまい。

    んなわけで省略。水鳥を水面下から覗いて、えれー必死で足をバタつかせてるところ見ると、なんだかきまりが悪いですものね。

    いや、10月過ぎからは更新しようと思ってたんですが、パソがちょいとおむつがりのご様子で修理に出していたりもてしまして。

    ピースv ついニンマリしてしまう双葉マーク


    これよりぼつぼつと更新を再開したいと思います。hello again 今期もまたひと踊り致しましょう。

    定期的に覗いてくれてた人たち、ほんとごめんよ。
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。